Oxford Handbook of Environmental Ethics(2017)紹介企画

学術誌「環境倫理」の、Oxford Handbook of Environmental Ethics(2017)の紹介企画です。

Oxford Handbook of Environmental Ethicsの[全45章の紹介]

第1部 コンテキスト:私たちが基づく広範な社会的条件
 第1部は、これまでの、そしてこれからの環境倫理学を成立させる様々な社会的条件について概観している。
 【2章・歴史】「環境倫理学の歴史」で、ジェイソン・カワル(Jason Kawall)は、環境倫理学史の詳細な解説である。人間中心主義、生命中心主義、全体論、ディープ・エコロジー、エコフェミニズムプラグマティズム、徳倫理を含む、環境倫理における主要な考え方と各分野を形成する理論を概観する。
 【3章・科学】「環境科学―環境倫理学のなかの経験的要求」で、ウェンディ・パーカー(Wendy Parker)は、科学的証拠の性質、科学モデルの適用と評価、科学的実践における価値観や客観性の問題などを扱いながら、現代的な科学哲学を通して環境科学の実践に光を当てる。
 【4章・経済】「市場、倫理、環境」で、ジョン・オニール(John O’Neill)は、経済的価値の役割について、「かつて市場には並ばなかったものまでが、商品として市場に並び、拡大していくことと、環境問題の拡大には関係があるだろうか?」という問いに対する2つの回答を比較し、検討する。この検討は、環境政策形成における費用便益分析と排出権や生物多様性オフセットのような新しい市場の発展の役割を鮮明にする。
 【5章・ガバナンス】「法、ガバナンス、生態学的精神(Ethos)」で、ダニエル・バット(Daniel Butt)は、環境正義の実践におけるガバナンスのあり方や、市場主義を前提とした法整備の限界に対して焦点を当てる。そして、「生態学的なエートス」――互いに協力的で国籍に縛られない幅広い主体によって共有され、環境ガバナンスの既存の手段を補完する精神性の必要性を提起する。
 【6章・人新世】「人新世!―自然を超えたもの?」で、ホームズ・ロルストン三世(Holmes Rolston III)は、私たちが人類の活動の影響によって特徴づけられる地質年代である「人新世」に入ったという、物議を醸すテーマに対して、私たちは「自然を超えた」活動をしているという考え方への3つの異なる反応を考察している。


第2部 価値の主体:道徳的に何をすべきか
 第2部では、価値の対象や担い手としての自然と人間について、第1部で見てきた社会的条件をふまえて、人間が何に対してどのような(直接的な/間接的な)道徳的義務を負うかについて、「道徳的重要性の拡大の輪」の枠組みをふまえて概観する。
 【7章・人間性】「人間中心主義――人間性は危険か、期待されるものか」で、アレン・トンプソン(AllenThompson)は、人間中心主義――人間のみが本質的に道徳的価値を持っているという考え方――は、現在の「環境危機」の思想的な根源であるという広く受け入れられている考え方について、人間中心主義には3種類のタイプがあることを解説する。人間性および人間の活動に対して適切に光をあてることは、環境倫理においてとても重要なことである。
 【8章・動物の意識】「意識ある動物と経験の価値」で、ロリ・グリュエン(LoriGruen)は、感情中心主義とも呼ばれる人間非中心主義の1つの形態について考察する。“良い”経験を受容し、“悪い”人を避ける人間の道徳性は、動物のそれと連続している、という感情中心主義の見解は、共感と敬意についての新しい見方を提供する。
 【9章・個々の生命】「個々の生命:環境倫理における生命中心主義」で、クレア・パーマー(ClarePalmer)は、生命中心主義的な考え方、つまり生命自体が道徳的に尊重されるべきであり、本質的価値や固有の価値を持っているという考え方について説明している。さらに、平等主義的・非宗教的・非一元的・多元主義的な生命中心主義が、徳倫理や、義務論な倫理理論に根ざしているかどうかについて検討する。
 【10章・生態学的集団】で、「生態学的集合体は道徳的にどのように重要か」ベアード・キャリコット(J. Baird Callicott)は、種や生態系、景観、生物などの物理的な集合体には本質的な道徳的価値があり、また直接的な倫理的義務の対象であり、正当な道徳的考察を受ける価値があると主張する。キャリコットは、微生物研究の知見から、個々の人体もまた生態学的集合体であるという驚くべき結論を提起している。
 【11章・原生自然】「原生自然を評価する」で、フィリップ・カファロ(PhilipCafaro)は、原生自然は誰にとって価値があるのか、何を価値の対象とするのかというこれまでの議論を超えて、価値付与財産として原生自然を位置づける。原生自然の保存は「新世界(アメリカ)」の環境倫理学の中心的テーマであるが、過剰な人口増加や消費活動により、地球上から急速に失われつつある。


第3部 価値の性質:価値の意味と規範的主張
 第3部はメタ倫理や現象学、解釈学、審美的価値など、自然環境についての多様な理論的説明を考察する。
 【12章・真実と善良さ】「真実と善良さ:環境倫理におけるメタ倫理」で、ケイティ・マックシェーン: (Katie McShane)は、メタ倫理が環境倫理に無関係であるという一般的な主張に対して反論する。むしろ、分析的なメタ倫理の現代的な見解は、いくつかの異なる理論的観点から環境倫理学の課題に取り組むことができると主張する。
 【13章・実践理性】「実践理性と環境へのコミットメント」で、アラン・ホーランド(Alan Holland)は、環境に対して何かを行う理由と、私たちの抱く多様な動機のうち、どれがどのように結びついているかを論じる。さらに、3つの実践理性を区別し、土地共同体を考慮するレオポルド主義の立場が、現場でよく表明される他の立場(内在的価値に対する伝統的な訴えを含む)の上位にあり、人間の良き生活についての完璧主義の見解であると結論付ける。
 【14章・解釈学】「環境学的解釈と自然の意味」で、マーティン・ドレンセン(MartinDrenthen)は、風景などの環境に向けられた標準的な解釈の仕方や、そのような意味と環境的アイデンティティとの関連を通じ、どのように本質的意味を見出すかについての解釈学的考察を展開する。
 【15章・現象学】「現象学環境倫理」で、テッド・トードバイン(Ted Toadvine)は、経験の優位性を強調し、自然に対する技術的、経済的、経営的アプローチの特徴である形而上学自然主義道具主義的枠組みを批評することによって、現象学の伝統が環境思想にどのように貢献するかを考察する。
 【16章・美学】「審美的価値、自然、環境」で、エミリー・ブラッディ(Emily Brady)は、審美的体験と自然物、経過、現象を評価するための重要な問題を考察する。彼女はこの議論を「科学的認知主義」と「非認知主義」という2つの中心的見解の間にあると解釈し、多元的アプローチの価値を強調するとともに、美的価値と倫理的価値との間の相互作用についてはさらなる課題があるとする。

 

第4部 どのようなことが重要か:行動すべき事柄についての理論的見解
 第4部では、倫理学の理論に焦点を当てた最後の節として、帰結主義、義務論、美徳、世話、霊的根拠を含む環境主義の規範的基礎についてどのように考えるべきかについて、さまざまな理論的見解を概観する。
 【17章・事態】「環境倫理における合理主義」で、アブラム・ヒラー(Avram Hiller)は、帰結主義的な環境倫理について議論する。古典的な功利主義的、生命中心的、生態中心的な形態を区別するとともに、環境主義への帰結主義的アプローチを、義務論、徳倫理、実践哲学的なアプローチと対比させる。
 【18章・自ら課す義務と強制される義務】「自然のための権利、規則、敬意」で、ベンジャミン・ヘイル(Ben Hale)は、義務論的アプローチを擁護する。そして、ハーバマスの対話的理性とコミュニケーションの合理性に基づいた行動理論を提起する。
 【19章・性格】「環境倫理:価値観、規範性、権利行使」で、ロナルド・サンドラー(RonaldSandler)は、個人的な性格の徳に基づいて、代替的で非派生的な規範的理論を立てている。徳倫理を、規範的理論に対する独特のアプローチとして記述し、自然界の価値観がどのようなものであっても徳倫理がどのように対応できるのか、その多元性は環境倫理にどう不可欠であるのか、どのようにして意思決定の際に適切な行動の原則を提供するのかについて論証する。
 【20章・ケア】「環境倫理におけるケアの特質:先住民とフェミニストの思想」で、カイル・ポウイス・ホワイツとクリス・クオモ(Kyle Powys Whyte and Chris Cuomo)は、ケアの概念に基づいた2つの選択肢を、主流の規範的倫理と関連づける。ひとつは先住民の自然に対するアプローチであり、相互依存関係にある人間と非人間の共同体の中での配慮が強調される。もうひとつは、フェミニストの環境への配慮に関する倫理であり、社会的・生態学的なコミュニティとともに地域社会が“世話をする能力”を高めることの重要性を浮き彫りにする。
 【21章・神聖さ】「米国における神聖な、敬虔さと環境倫理」で、ブロン・テイラー(BronTaylor)は、神聖視された環境システムや場所の認識が、過去と現在の両方で環境倫理を根付かせるという重要な役割を歴史的にひも解いている。また、主要な世界の宗教の特徴である超越的な焦点を持つ本質的な聖なるものの認識と、現代の環境倫理の基盤となっている科学的物質論的世界観を対比している。

 

第5部 主要な概念:問題を構成し解決するためのツール
 第5部では、環境倫理の課題の枠組みと、問題解決に役立つさまざまな重要な概念が扱われる。
 【22章・責任】「環境破壊についての個人的、義務的責任」で、ケン・ショックリー(KenShockley)は、道徳的責任について論じる。個人が制度や慣行との関連の中で影響が強まる、集団的な危害の中の個人の責任を問おうとするときに生じる困難を調査する。
 【23章・正義】「惑星の正義」で、デレク・ベル(Derek Bell)は、伝統的な自由主義の思想における3種類の課題を提示し、生態学的に正当な理論がいくつかの顕著な違いを示す可能性があると主張する。
 【24章・ジェンダー】「環境倫理における政治的諸相―影響、原因、代替案」で、クリス・クオモ(Chris Cuomo)は、環境倫理における、ジェンダーや性的に不平等な規範、見過ごされがちな女性からの視点の重要性を詳述する。ジェンダーの規範と役割は、社会的に構築されるのではなく「自然」なものとして促され、女性の抑圧と自然の支配が結びつけられることが多い。
 【25章・権利】「人間の権利と環境」で、スティーブ・バンダーハイデン(SteveVanderheiden)は、人類の幸福を脅かす環境被害に対する保護を促進するための、倫理的規範や政治的仕組みとして、人権を評価する。
 【26章・生態学的空間】「生態学的空間―概念とその倫理的意義」で、ティム・ヘイワード(Tim Hayward)は、「生態学的空間」の概念と、人間的生活への関連について議論を提起している。異なる義務的なカテゴリーを通して、分配に関する不平等に取り組むことを可能にする生態学的空間の使用、占有、ガバナンスについて検討する。
 【27章・リスクと予防策】「自然に関する意思決定におけるリスクと予防策」で、ジョナサン・アードレッド(Jonathan Aldred)は、コスト/メリット分析の適切な用い方と、意思決定の予防原則との関係を慎重に検討するためのリスクと予防措置の扱いについて述べる。
 【28章・シチズンシップ】「シチズンシップと(非)持続可能性:緑の共和党の視点」で、ジョン・バリー(John Barry)は、積極的な市民活動の低迷と、消費者アイデンティティーの展開、民主的政治の形態との関連性についての検討をふまえ、「グリーン・リカンファレンスのシチズンシップ」を提案する。
 【29章・未来世代】「環境倫理と未来世代」で、ジョン・ノルト(John Nolt)は、世代間倫理について論じている。将来の個人(人間や人間以外)に対して、現世代は、人口を減らし化石燃料の大部分を地面に残しておかなければならないという責任を負っていると主張する。
 【30章・持続可能性】「多世代にわたる公益としての持続可能性」で、ブライアン・ノートン(BryanNorton)は、世代を越えた豊かさや有用性の単なる移転ではなく、環境の生態的特徴を保護する道を提供するとして、持続可能性に関する共同体的かつ公的な概念を提示している。


第6部 中心的な課題:環境問題が論じられる分野
 第6部では、環境倫理に関して懸念されている事柄に焦点を当てている。
 【31章・汚染】「環境汚染の倫理」で、ケビン・エリオット(Kevin Elliott)は、環境汚染についての典型的な問題を検討している。環境汚染は、社会的弱者や発展途上国、人間以外の生物に対する重大な脅威であるという認識の上で、有害な汚染物質とその規制に関する政策上の問題を特定するために必要な科学的研究では、倫理的な問題にもっと注意が払われるべきである。
 【32章・人口増加】「人口と環境―不可避の、容認できない、緊急の」でエリザベス・クリップス(Elizabeth Cripps)は、道徳的に緊急を要する人口増加について、環境倫理とグローバルな正義の両方を念頭に置いて政策形成にアプローチすることを促す。
 【33章・エネルギー】「倫理的なエネルギーの選択肢」でクリスティン・シュレーダー=フレチェット(Kristin Schrader- Frechette)は、化石燃料原子力発電に起因する環境汚染について概説し、クリーンで再生可能なエネルギーに切り替えようとしないことの言い訳を批判的に分析する。
 【34章・食料】「食料、農業、環境の語り」デビッド・カプラン(David Kaplan)は、食料、農業、環境倫理の関係を理解するための実践的なアプローチにおける物語の役割を検証する。
 【35章・水】「水倫理―生態学的協力に向けて」で、アンジェラ・カーロフ(Angela Kalloff)は、水資源にまつわる倫理として、人権、非道具主義、公正利用、共同管理という4つの異なる規範的アプローチを提示する。すでに権利ベースの環境主義の視点を取り入れているため、協力ベースのアプローチがもっとも有望であると結論付ける。
 【36章・大量絶滅】「人為的な大量絶滅―科学、倫理、市民」で、ジェレミー・デイヴィッド・ベンディク・ケミマーとクリス・ハウフェ(Jeremy Bendik-Keymer and Chris Haufe)は、人為的な大量絶滅を、悪の平凡さの概念を用いて、大量絶滅がさらなる倫理的問題、特に環境正義に提起する様々な課題について説明する。
 【37章・技術】「技術と環境の哲学」で、ポール・B・トンプソン(Paul B Thompson)は、環境への影響だけでなく、技術のもつ魅力についても議論する。哲学における多くの研究は、学問領域の境界を越えて科学と技術の関係を支えうるものである。
 【38章・エコシステムマネジメント】「エコシステムマネジメントの倫理」で、マリアン・ホワデキン(Marion Hourdequin)は、エコシステムマネジメントの実践において直面する、単一種の資源の収量を最大限にすることを目的とした戦略的な代替手段についての、概念的および倫理的課題を特定する。


第7部 気候変動:私たちの時代の環境問題
 第7部では、人間の活動による地球規模の気候変動こそが、私たちの時代を特徴づける環境問題であると定義づける。
 【39章・緩和策】「気候変動の緩和策―環境倫理の第一歩として」で、ヘンリー・シュー(Henry Shue)は、クリーンなエネルギー源に基づくエネルギー体制への急速かつ世界的な移行が、気候変動の緩和策になるという説得力のある事例を提供している。そして貧しい国々がこの移行に協力するためには援助が必要であると指摘する。
 【40章・適応策】「気候変動への適応策と倫理」で、クレア・ヘイワード(ClareHeyward)は、気候変動への適応策において、環境正義の実践は、個人の基本的な物質的利益を保護するだけでなく、自らの文化的アイデンティティーの維持のために必要な条件を確保するための努力を含むべきであると主張する。
 【41章・外交】「気候変動と外交」で、アンドリュー・ライト(Andrew Light)は、気候変動に関する国際会議で米国国務省の戦略を指導した経験を活かし、国際的な気候外交の重要な問題について論じている。
 【42章・ジオエンジニアリング】「ジオエンジニアリング:意図的な気候マニピュレーターへの倫理的な質問」で、スティーブ・ガーディナー(Steve Gardiner)は、ジオエンジニアリング(「地球規模での基本的な惑星系への壮大な技術的介入」)の取り組みを紹介する。ジオエンジニアリングに焦点を当て、拙速に政策を打ち出すことは、往々にして取り組みの正当化と重要な問題の明確化の両方を避けることになり、倫理的課題を放置することになると主張する


第8部 社会的変革:私たちがやるべきことをする
 第8部では、必要とされる社会的変革を実現するための試みにおける環境倫理を扱う。
 【43章・対立】「環境問題における対立」で、デビッド・シュミッツ(DavidSchmidtz)は、正義の原則がどのように補完され、対立の解決の原則とどのように一致しているかを説明している。
 【44章・プラグマティズム】「環境倫理、持続可能性の科学、プラグマティズムの回復」で、ベン・ミンティア(Ben Minteer)は、持続可能な開発における規範的企業としての成長と、社会をより持続可能な状態に移行させるという目標を統合するための環境倫理の実践的概念を提示する。
 【45章・犠牲】「環境救済のための犠牲と可能性」で、ジョン・マイヤー(John Meyer)は、裕福な社会で環境保護の方針への最も顕著な障壁である「利益と犠牲」という二分法を回避するための戦略を提示する。日々の生活の中で払わなければならない普遍的な犠牲は、意欲的な行動を呼び起こす能力を低下させている。
 【46章・行動】「環境倫理から環境行動へ」で、アフナー・デシャリット(Avner deShalit)は、特定の問題が、環境への意識から問題化されているのか、政治への意識から問題化されているかを区別することによって、環境倫理の役割を明確にする。そして、環境への取り組みを奨励し、民主主義が根本的な変化を達成するためにどのような実現可能な選択肢があるかを議論する。

Oxford Handbook of Environmental Ethicsの[全体の構成]

▼どのような構成なのか?
 2017年に刊行された、英語圏環境倫理学の標準的な教科書。全46章はすべて書き下ろし。詳細はこちら。

www.oxfordhandbooks.com

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▼どのような背景で書かれるに至ったのか?
 同号のキーワードの一つに「人新世」(Anthropocene)があげられる。1950年代以前、長い期間、環境に介入し続けてきたにもかかわらず、人間の行動の集団的影響がこれまで地球上の主要な生態系のすべてを脅かすことはなかった。しかし今日、気候変動やマイクロプラスチックをはじめとして、人為発生的な環境変化は惑星規模で過去にない速度で起きており、私たちが行う決定が、私たちの基本的な生存条件を不安定化させることが危惧されるという視座から本書は編纂されている。
 人新世に生じるであろう根本的かつ人為的な環境変化にうまく対応するために、価値観や規範、概念の分析を行う必要がある。そのためには、歴史学・科学・経済学・政治学・美学・宗教学などの学問領域、原生自然・動物の権利・環境正義・エコフェミニズム・大量絶滅などのこれまで環境倫理学で論じられてきたテーマ、汚染・エネルギーの枯渇・水や食料・ジオエンジニアリングなどのさまざまな関係者が行き交う現場における、重要なトピック、基本的な観点、概念、課題、アプローチについてレビューし、さらに付随する概念や今後の可能性についての網羅的な説明を行う必要がある。本書はそのような要請にもとづいて書かれている。

▼どのような方向性を持っているか?
 本書は、「環境倫理学の政治化」――環境倫理学の枠内で、正義や責任といった政治的価値観を扱うことが、今後ますます重要になるとみなしている。そのため、想定読者としては、いわゆる環境倫理学者だけでなく、科学哲学者、政治哲学者、応用倫理学者、政治理論家、法哲学者が含まれる。理論研究者だけでなく、新しい領域に関心を持っている人々や、現場で指針を必要としている人々、次の世代の研究者に向けても、本書は多くの示唆を与えるだろう。
 同時に、本書は環境倫理学の立場から宗教や文化をほとんど扱っていない。例えば、古代中国、古代インド、古代ギリシャにおける自然に対する文化的態度に関する章はない。仏教、ユダヤ教キリスト教イスラム教などが自然をどのように見なしているかについても扱っていない。これらのテーマに関心がある読者にとっては別の論文集がより助けとなるかもしれない。